あんなにしぶしぶ移動したにも関わらず、「地面が揺れない」ことは人をこんなに安心させるものなのか、と感心するほど穏やかな日々が大阪にはありました。

 

赤ちゃんは、またごきげんでお腹の中で動き出し、元気な胎動を感じていると、この選択は正しかったんだと思うことができました。
もう臨月だったので、大急ぎで受け入れてくれる産院を探しました。わたしはなるべく自然なお産をしたいと思い、西荻窪の病院もそのようにして決めたので、実家の近くでそのような病院を探しました。そして、自宅から車で30分以上の距離はあるけれど、医療介入をなるべくしないという先生に出会うことができ、お世話になることにしました。

 

毎日お散歩をする習慣がついていたので、実家からもあちこちに出かけました。東京に比べるとつまらなく感じる、もうよく知っている町だけど、揺れないだけでありがたいと思い、少しずつ楽しみを見つけながらお散歩を続けました。

 

妊娠中ずっと通っていたマタニティヨガの浜田里佳さんというすばらしい先生がおられます。震災後、都内のヨガスタジオもレッスンを休止することが多くなり、里佳先生のクラスへも行けなくなってしまいました。不安を抱えた妊婦のために、先生はtwitterを使ってレッスンをしてくれました。2020年にはヨガのオンラインクラスは浸透しましたが、その10年も前に、twitterで文字情報だけでヨガレッスンをしてくれたのは、本当にすばらしいチャレンジをしてくださったのだと感謝しています。大阪に移っても、先生とつながりを持ち、ヨガの練習を続けられたことは大きな心の支えでした。

 

そして毎夜、ウォン・ウィンツァンさんというピアニストの方が、動画サービスを使ってピアノを演奏してくれました。ウォンさんは「瞑想のピアニスト」と呼ばれているそうですが、本当にその名が似合う方です。彼のピアノを聴いていると、涙を止めることなく、遠慮なく泣くことができました。多くの方が亡くなった悲しみを、遺された者の悲しみを、ごまかさずにちゃんと悲しむことができました。できる限りの祈りを一緒に感じることができました。寄り添ってくれる音があることを、それを奏でられる人がいることを知りました。

 

 

そうこうしていると予定日が来て、赤ちゃんは予定通りの日に生まれてきてくれました。
分娩台に乗らなくてもいい産院だったので、4畳ほどの静かなスペースでゴロゴロとヨガをしながら、息子を産み落としました。大きな波に揺られているような、人生最高の心地よさでした。マタニティヨガはものすごく役立ち、この日、わたしの中でヨガの捉え方がまたひとつ変わりました。命が生まれる時に有効であるツールは、人生のいかなる時にも有効なのだろうという思いを強くしました。ヨガは役立つものである、という考えも加わりました。

 

生まれた直後に「カンガルーケア」をさせてもらいました。帽子をかぶせただけの、ほとんど裸のままの赤ちゃんをお腹の上に置き、保温のためのタオルをかけてもらい、母子二人だけの時間を過ごすのです。赤ちゃんはわたしのお腹の上でもぞもぞと動き、何時間もかけてお乳まで這ってきました。お産の疲れと安堵の中で、子の体温と、小さな動きと、放つすさまじいパワーを感じながら、穏やかな時間が流れました。
この世界に生まれたがっていた命は、いろいろな混乱を乗り越えて、こうして元気に生まれてきました。