お産をしてから半年、夫を東京に残したまま実家で過ごしました。
夫は隔週くらいで週末に会いに来てくれました。
すぐにでも東京に戻りたかったのだけど、わたしたちの住んでいる湯島という美しい町に雨が降り、もしかしたら放射能に汚染されたのでは・・・という疑いが持たれていました。

 

自宅から1kmほどの場所にある東京大学が発表している放射性物質の値は、何度みても、どうみても高い数値を保っていました。
精度にばらつきがあると言われるロシア製の放射性物質測定器で測った値を地図上で表しているウェブサイトもありました。そちらも、どこをどう見ても、残念ながら値が高かったのです。

 

生まれたての赤子はもちもちと白くてやわらかく、甘い匂いがしました。まだ母乳とミルクしか飲んでいない我が子。塩おむすびを頬張ったり、麦茶をごくごく飲んだりする前に、放射性物質を体内に入れてしまっていいんだろうか。土や落ち葉を触ってはいけないと叱りながら散歩をさせるんだろうか。いや、そもそもあの放射線量の値は信頼していいものなの? 危険だという意見も、問題ないという意見もあり、さまざまなファクターが入り混じり、わたしは混乱するばかりでした。

 

わたし自身は東京でやりたいことがまだまだたくさんありました。ヨガの先生の下で勉強させてもらいたかったし、神楽坂のガレット屋さんにまだ行ってなかったし、YAECAのショップにもまだ行っていなかったから。友だちにも会いたかったし、あの日別れたままの妊婦さんたちのその後も気になっていたから。それでも、どうしても、東京へ戻るという決断ができませんでした。

 

今のわたしだったら、混乱しないんですけどね・・・。でも今より10年分、知識も経験も少なく、しかも産後で骨盤がぐらぐら状態、肚が決まらなくても仕方がなかったのかな、と思います。

 

そのことで夫にさびしい思いをさせてしまっていましたが、それでも彼はたいへんにパワフルでした。
仕事で数回訪れた「飛騨古川」という町がすごくいいところで、移住者も増えていて、メロンパンとカレーがおいしいカフェもあるんだけど、一旦そこで暮らしてみないか?と提案してくれました。

 

グーグルマップで見てみると山と山に挟まれたわずかな平地に町があるようでした。岐阜県に行ったことがないし、どんなところだか見当もつきませんが、メロンパンとカレーが気になります。
引っ越しを決める前に一度、飛騨古川へ行ってみることになりました。夫の運転するレンタカーで、チャイルドシートを嫌がってわーわー泣く息子と共に、夜遅くに彼の地に着きました。

 

「ここで待ってて」と車から降ろされ、ここはどこだろう?と思いながら、夫が来るのを待っている時、ざぶざぶざぶーと豊かな水の音が聞こえました。川に澄んだ水が淀みなく流れています。眠る息子を抱っこしながら、目を閉じて、水の音に体を浸すような感覚を味わいました。

 

すぐそばに小さなお堂があり、弁財天の像が祀られていました。大きな木に彫られたものでした。弁財天=サラスワティ、インドの女神です。里佳先生のヨガクラスでよく流れていたサラスワティのマントラの音楽を思い出しました。Daphene Tseの「Saraaswati Mata」という曲です。
夜だけど小さな声でその歌を歌いました。創造、芸術、美を司る女神。川のそばにサラスワティが祀られている町。水の音と、創造の力。
飛騨古川といえば、白壁土蔵の町であり、古川祭りで有名な町ですが、わたしにとっては最初のあの印象が10年経っても変わらずにあります。きれいな水が流れる町。創造を見守ってくれる場所。

 

 

2011年9月、わたしたち家族は飛騨古川へ移住することになりました。
さて、10年前のお話はここで終わり、ここから先は、また別のストーリーへ。またいつか次の物語でお会いしましょう。